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江戸幕府が終わるとき最後の将軍が自ら大政奉還(政権返上)をして幕府を終了させます。戦争に負けて完全に滅ぼされたわけではないのに、なぜ自ら大政奉還したのでしょうか?

日本の歴史を振り返ってみると、過去に自ら政権を返上したって例がないですよね?なんでそんなことをしたのでしょうか?今回は徳川慶喜が大政奉還をした理由についてお伝えします。


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大政奉還とは?



大政奉還とは今まで武士が日本の政治を天皇に代わって行っていましたが、それを天皇に返すというものです。

ずっと昔は、日本の政治は天皇が行っていました。その後、朝廷内の有力貴族が天皇に代わって摂政や関白として政治を動かしていたり、引退した天皇が上皇になって院政をして日本の政策を決めていました。

平安時代の末期になると、武士が台頭してやがて鎌倉幕府を開いて日本の政治の支配するようになります。ただしあくまでも天皇に代わって将軍が政治をするという建前になっています。

鎌倉幕府が滅んだ後は室町幕府ができ、室町幕府が徐々に崩壊して戦国時代に突入して、その後江戸時代が長い間続きます。

大政奉還をすることでその長い間続いた武士の政権から、天皇に政治を返すことになりました。

大政奉還をした理由は?



当時、幕府は第二次長州征伐で薩摩藩の協力も得られずに連敗をしていました。そんなときに徳川慶喜が将軍職を継いだのですが、幕府の力が衰えていたことは明らかです。

幕府に反抗する勢力の力が大きく、朝廷も幕府の味方になってくれるのかわかりません。このままでいくと朝廷から討幕の密勅がでて朝敵となる恐れすらありました。

そこで大政奉還をして政権を朝廷に返上してしまえば、討幕される理由がなくなります。

朝廷に政権を返しても今までずっと政治をしていなかった、朝廷に日本の政治が取り仕切れるとは思えません。

将軍家と譜代が日本の政治を決めるというシステムはなくなって、新政府ができても徳川家がその盟主になれると思ったからと言われています。

幕府による政治を維持しようとした場合、戦争になって滅ぼされる可能性が高い。そのためそれを防ぐために大政奉還をしたんですね。

ところが薩摩と長州のなどの討幕派は猛反発します。それはそうですよね。せっかく新しい世の中になって「自分たちが日本を動かす」という気持ちだったのにまた徳川家が力を持ってしまったら「今までの苦労は何だったんだ」ということになります。


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大政奉還した後はどうなったの?


薩摩藩は旧幕府軍を挑発して戦争に持ち込み鳥羽・伏見の戦いが起こります。

このとき旧幕府は朝敵になってしまい。もともと水戸藩出身だった徳川慶喜は、勤王の気持ちが強く戦いを拒否して江戸に逃げ帰ってしまいます。

徳川慶喜は江戸で謹慎して江戸城は戦争をすることなく明け渡されますが、旧幕府の一部は戦争を続けます。最後は新政府が勝利して終わり結局、大政奉還は徳川慶喜が思い描いていたようにはなりませんでした。

もし徳川慶喜が大政奉還をしなかったらどうなっていたか?



大政奉還をしてもどのみち戦争になったので、結局はあまり変わらなかったのかもしれませんね。この時点で大政奉還してもすでに時が遅かったんだと思います。徳川慶喜が将軍後見職になったらすぐに、有力な大名も政治に参加させる政策をとれば、徳川が日本の政治の中心としてその後もずっとやっていけたのかもしれません。

ただしそうなると日本の歴史がだいぶ変わってくることになるので、大政奉還の結果が失敗したのは良かったのか悪かったのかはわかりません。

大政奉還って坂本龍馬が考えたの?



坂本龍馬が教科書から消えるという話があります。

あれ坂本龍馬って大政奉還を考えた人物じゃなかったの?そんな重要な人物を教科書から消していいの?って思った人も多いと思います。

今まで一般的に言われていた説では坂本竜馬の「船中八策」(坂本龍馬が新国家体制の基本方針を後藤象二郎(土佐藩の家老)に対して口頭で話したことを書き留めたもの)

をもとに後藤象二郎が土佐藩の藩主・山内容堂に提案し容堂が徳川慶喜に大政奉還を勧めたと言われていました。

ところがその後、船中八策は龍馬の作成否定説が出てきています。

絶対に坂本龍馬は大政奉還にかかわっていないとは言えませんが、坂本龍馬が大政奉還にはかかわっていない可能性があることは確かなようです。

確実にわかっていることとしては後藤象二郎が山内容堂に提案して、山内容堂が徳川慶喜に大政奉還を勧めたことです。

坂本龍馬って司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で有名になっていて小説の龍馬と実際の龍馬がごっちゃになっている部分があります。どこからが史実なのか検証する必要があるのかもしれませんね。

まとめ


今回のまとめ

  • 大政奉還をした理由は幕府の力が衰えていて追い詰められていた
  • 大政奉還しても、徳川が新政権の中心になれると思っていた

徳川慶喜は大政奉還をして、新政府の中心になろうと思っていましたが、その目論見は結局かないませんでした。もっと早い時期に大政奉還をしていたら、徳川の政権参加もうまくいっていたのかもしれません。

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