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応仁の乱と言えば日本の歴史を勉強をすると、必ず覚える歴史的な戦いですね。

そんなに重大な応仁の乱ですが詳しいことはわからない。そんな人も多いと思います。

そもそも応仁の乱がおこった原因って何だったんでしょうか?今回は応仁の乱の原因を解説します。

応仁の乱の原因は?


直接的な原因は室町幕府の管領・畠山氏、斯波氏の家督争いから始まり細川勝元と山名宗全の勢力争いそして室町幕府の将軍の後継者争いです。

ただその下地的な原因として室町幕府の足利将軍家に絶対的な力がなく、守護大名による合議制の連合政権だったことが乱に発展した原因です。

江戸幕府の徳川将軍家のような絶対的な力があれば、乱には発展するようなことはなかったでしょう。

後継者争いになる原因は?

家督争いの原因は、後継者を決める方法が明確に決まっていなかったからです。

能力のあるものが後継者になる。一見いいことのように思えますが、みんな自分のほうが能力があると思うものです。

そして後継者の家臣にしてみたら自分の主人が後継者になるのと、そうでないのでは自分の生活が違ってきます。

当然そこで争いが生じます。今みたいに選挙で決めるならいいのですが、力づくで決めることになって戦争になります。

応仁の乱の始まる前段階


まずはじめに室町時代は江戸時代と比べてそもそも安定していません。徳川将軍家も15代ですが足利将軍家も15代続いています。

同じ幕府で同じく15代続いているで似たような感じなのかと思ってしまいますが、室町時代と江戸時代では安定性がまったく違います。

江戸時代は初期に関ケ原の合戦がありその後、島原の乱があったくらいで幕末まで大名同士の戦争は起こっていません。

初期には取り潰される大名も多くありましたが、すべて戦争に発展することなく取り潰しになっています。

ところが室町幕府は応仁の乱が始まる前から、戦争が継続的に起きています。

初期には観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と言って直義と尊氏が争う足利政権内部の争いが起きていますし、その後も南北朝の動乱で戦争が数多く起きています。

応仁の乱の始まる少し前には、なんと将軍が守護大名に暗殺されます。江戸時代だったら考えられないほど、世の中が乱れていたんですね。

そんななか三管領の中の一つ、畠山氏で家督争いが起きます。その戦いが後継者争いは勝ったり負けたりの泥沼になり応仁の乱での争いに加わることになります。

応仁の乱の始まり


そして今度は将軍家でも家督問題が起きます。8代将軍の義政には子がいなかっため出家して僧侶になっていた、弟の義視を還俗させ養子します。弟の義視には管領の細川勝元が後見人になります。

ところが妻の富子が妊娠し、実子の義尚が生まれてしまいここでも後継者問題が出てしまいます。

妻の日野富子はわが子を将軍にしたい。義視の後見人・細川勝元は当然 義視に将軍になってほしい。

そのため実力者の妻の日野富子は山名宗全を頼ります。

ここで西軍・山名宗全(日野富子)VS 東軍・細川勝元、足利義視

そして有力大名の畠山家や斯波家の家督争いが絡み合って応仁の乱が始まります。

応仁の乱は11年も続きますが、西軍だったものが東軍になったり東軍だったものが西軍になったりめちゃくちゃな状況になります。

応仁の乱はどう終結したのか


応仁の乱は11年も続きますが最後は決定的な勝者のないまま、西軍の山名宗全と東軍の細川勝元が病気で死んでしまい。

将軍家は息子の義尚が継ぐことになってようやく終結します。

ただ応仁の乱によって京都は荒廃してさらにもともと絶対的な力がなかった将軍家は、さらに脆弱になって戦国時代に突入することになります。

まとめ


最初は畠山氏の家督争いから始まりました。有力な守護大名がそれぞれバックアップして、将軍の跡目争い目も加わってさらに戦火が広がりました。

下地になる原因として足利将軍家に直轄の領地が少なく、動員できる兵力がもともと少なかったことです。

室町幕府は守護大名の連合政権で脆弱さらに、家督相続のルールが明確に決まっていなかったため、家督相続を軍事力で争うことになりました。

このようなことを繰り返さないため徳川幕府では、戦争にはならない様に長男が跡を継ぐと言うルールを決めました。

どんなに下の弟のほうが能力があっても長男が継ぐことになりました。不公平に思えるかもしれませんが、争いを避けるためには当時としては最善だったのかもしれませんね。

そして徳川幕府も後継者がいなかったり後継者を決めることがありましたが、将軍家の力が絶対的に強かったため乱にはなりませんでした。

もし徳川幕府の時代に藩で後継者争いが起きて藩内部で戦争になったら、徳川幕府の力が非常に強いため即取り潰しになります。

応仁の乱の根本の原因は家督相続のルールが決まっていなかった。そのためそれぞれが自分の利益のために行動して、それを止める絶対的な力を持った人間がいなかったということなのかもしれません。

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