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大政奉還した場所と言えば二条城。そう学校で習いませんでしたか?実はこれが間違いだと最近言われています。

歴史って結構変わったりしますよね?有名なのが鎌倉幕府と言えば1192年だったのが現在では1185年になっています。

実は新しく何か発見があった。というよりちょっとした解釈の違いだったりします。

なぜ大政奉還した場所が二条城でないのでしょうか?大政奉還をした本当の場所はどこなんでしょうか?今回は大政奉還をした場所についてお伝えします。

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大政奉還の場が二条城と言うのは間違い?



正確に言うと最後の将軍・徳川慶喜が「大政奉還をして政権を朝廷に返上しようと思うけど、何か意見はないか?」と上洛中の各藩の重臣に詰問したのが二条城だったのです。

大政奉還と言うのは将軍が朝廷に申し出て、天皇が承認してはじめて大政奉還になります。だから二条城で大政奉還が決まったわけではありません。

  • 二条城:世間に向けて大政奉還の意志を示した場所
  • 御所:大政奉還が行われた場所

この様に、大政奉還が行われたのは二条城ではなく御所だと考えてください。

そもそも大政奉還って天皇が承認しないとできないわけですから、御所以外ではできないってことですよね。江戸城で大政奉還をしようと言っても、結局大政奉還をする場所は御所と言うことになります。

テストに出なくなった「大政奉還の場所」
今まで大政奉還をした場所は二条城と言われていましたが、今後は大政奉還の場所はテストに出ないようになったそうです。

当たり前と言えば当たり前ですよね。

例えていうなら今の時代に考えてみると「この法案が決まった場所はどこ?」って問題があったらおかしいですよね?答えは国会以外ないわけですから、問題として出す方がおかしいですよね。


御所ってどんなところ?



御所は明治時代より以前の天皇の住まいです。当時の天皇はほぼ御所から出ることはありませんでした。この御所で政務をしたり、生活をしていました。

場所は京都御苑の中にある建物です。二条城のすぐ近く徒歩20分くらいのところにあります。

なお今の天皇の住まいは昔の江戸城で今は皇居と呼ばれています。

大政奉還の絵は間違っている?

大政奉還の絵を教科書とかで見たことありませんか?

徳川慶喜が上座に座っていて下座に多くの人が平伏している図です。

これが二条城で大政奉還をしている絵と言われていましたが、正確に言うと「大政奉還をしようと思うけど何か意見はないか?」ということを詰問したときの絵と言うことになります。

ただしこの絵も実は事実と違います。

この絵は一番上座に座っているのが徳川慶喜で、下座で平伏している人は大名の重臣です。

絵を見ると左に2人、右に3人、下座に14人の大名の重臣がいます。

実際はどうだったのかと言うと約40藩の重臣50人が二条城に集められて、大政奉還をするという内容の文章を渡されて将軍が直々に意見を聞くと言われました。

その後、将軍にじかに意見を言うのが恐れ多いと感じたのか、ほとんどの人が返ってしまって薩摩藩の小松帯刀、土佐藩の後藤象二郎ら6人が慶喜と面会したのが真実だそうです。

だからこの絵のように大勢の各藩の重臣の前で、これから大政奉還をすることを公言したわけではありません。

なぜ事実とは違うのか?

「大政奉還の図」は邨田丹陵という歴史画家が昭和10年に描いたものです。当然その場にいたわけではないので、想像で書かれたものです。

風景画と違って歴史の重要な場面って、実際に居合わせた人がすごく絵がうまいってことって普通ないですよね。

その時も大政奉還をする歴史的に重要な場面だから、画家を連れてきてスケッチさせようなんてそんな余裕もないわけですから想像で書かれるのが普通です。

それに絵って実際とは違っていたほうが構図的に面白くなったりします。

大勢の各藩の重臣が集まっている場面を書いても、そこに徳川慶喜がいなければ締まらないですよね。

徳川慶喜が6人と面会している場面を書いても、ちょっとこじんまりした感じになってしまいます。

邨田丹陵も実際とは違うとわかっていて、あえてこう書いたのかもしれません。


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なぜ江戸城ではないの?



それはともかくなんで徳川家の本拠地の江戸城ではなく、京都の二条城で宣言したのでしょうか?

実は第二次長州征伐の最中に前将軍・家茂が大坂城で亡くなったため徳川慶喜は大阪で将軍になります。

将軍在任中は一度も江戸に行っていません。薩摩が朝廷に対して幕府を倒す許しを求めるような不穏な動きがあったため、江戸に帰るわけにはいかなかったんですね。

このため二条城で大政奉還の意思を示しました。

大政奉還を宣言した二条城って今どうなっているの?



徳川慶喜が二条城で大政奉還を宣言してから去年で150年たちました。二条城はどうなっているかと言うと今でもちゃんとあります。

建て替えられたんではなくて大政奉還を宣言した、当時のものが残っているってすごいですよね。ちなみに観光スポットとして見学できます。

大政奉還を宣言したのは二条城のどこの部屋?

二条城には建物がいくつかあるのですが大政奉還を宣言したのは二条城の二の丸御殿の大広間の一の間、二の間です。

一の間が将軍のいる場所で二の間が大名たちが並ぶ場所になっています。

二条城には大政奉還の絵を再現した人形が置いてあります。これも絵を再現した人形なので事実とは違いますが京都に行ったらぜひ見学してみたい場所ですね。

まとめ


今回のまとめ

  • 二条城は大政奉還を各藩の重臣に詰問した場所
  • 大政奉還は御所で行われた
  • なぜ二条城だったのかは、当時慶喜はずっと京都にいたから
  • 大勢の前で大政奉還を宣言した絵は事実と違う

大政奉還が行われたのは正確には御所と言うことになりますが、二条城で大政奉還をしようと大名の重臣に伝えたのは事実です。

なぜ大政奉還をしたのかについてはこちらの記事を参考にしてください。


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