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現在、日本には様々なプロレス団体があります。でも僕が子供のころ35年前はたった2団体だったんですよ。その2団体がアントニオ猪木さんの新日本プロレスと、ジャイアント馬場さんの全日本プロレスです。

当時はどちらもテレビ中継をされていてとても人気がありました。両団体のトップである、ジャイアント馬場とアントニオ猪木は日本人なら誰でも知っているスーパースターでした。

今回はこの二人のプロレスに関することや性格などについても比較してみようと思います。

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ジャイアント馬場とアントニオ猪木のプロレスに関すること

身長や体重

馬場さんが身長209㎝体重135㎏ 猪木さんが身長192㎝体重110㎏

入門は同じ年ですが年齢は5歳年上です。

プロレスラーになった経緯

馬場さんはもともとプロ野球選手で投手でしたが風呂場で転んで、腕を怪我してしまったためプロ野球選手としての道をあきらめてプロレス入りをしました。

猪木さんはブラジルに移住しているときに砲丸投げの選手として活躍しているところを、力道山にスカウトされてプロレス入りをしました。

馬場さんはエリート猪木さんは雑草などと言われますが、馬場さんは超エリートで猪木さんはエリートと言うのが本当のところなんだと思いますね。

入門後

入門した後は馬場さんは給料をもらっていたのに対して、猪木さんは給料もなく力道山の付き人として酷使されていました。

猪木さんは力道山に些細なことで殴られたりしていましたが、馬場さんは殴られたことは一度もなかったそうです。

漫画、プロレススーパースター列伝では二人の性格の違いを見極めて、馬場にはほめて伸ばす猪木には厳しくして伸ばす教育方針だった。

と書いてありましたが実際のところでは、馬場さんが殴られないのが異例だっただけで他のレスラーはみんなボコボコにされていたそうです。

なぜ力道山は馬場を殴らなかったのか?

馬場さんは生前こんなことを言っていました。「学生時代に一度だけ学校の先生に殴られたことがある。今その先生に会っても僕は挨拶をしないな」

多分力道山はこんな馬場さんの性格を見抜いていたんだと思いますね。

おそらく力道山としては馬場さんを後継者にしようとしていたんでしょう。他のレスラーだったら嫌ならやめればいいと思っていたけど、馬場さんに辞めらたら自分の損失になることがわかっていたんだと思います。

ただ辞めただけでなく当時の馬場さんがその気になれば、単身アメリカにわたってプロレスラーとして活躍することもできたでしょう。そうなって日本に帰ってきてプロレス団体を作られたら、強烈なライバルになります。

年齢的に動けなくなる自分に比べて、若い馬場が自分にはない大きな体で有名な外国人レスラーと試合をしたら興行で負けることになる。

それだったら自分の元で後継者として育てるほうがいいと思ったんだと思いますね。

対戦成績は?

対戦成績性は意外にも馬場さんの16戦全勝です。ただしこれは若い時期の話で二人の年齢差5歳を考えると妥当なところですね。

当時のプロレス団体はデビューして間もないような若手は別ですが、日本人同士の対決は行われていませんでした。

猪木さんがキャリアを積むようになってからは、両者の試合は行われることがなくその後二人はそれぞれで団体を設立して対戦することは二度とありませんでした。

そのため二人の全盛期は馬場と猪木どちらが強いのか盛んに論じられたものです。

プロレスの流儀

ジャイアント馬場さんのプロレス団体、全日本プロレスは王道のプロレスでした。

体の大きな日本人が体の大きい有名な外国人プロレスラーと対決する。

これは馬場さんが海外で活躍していて、外国のプロレス団体とつながりがあったため実現できました。

猪木さんの場合は外国のプロレス団体と、そこまで深いつながりがありませんでした。

そこでまだそこまで有名ではない外国人レスラーを、育てて活躍させるという方針をとりました。

スタンハンセンなどがその筆頭です。

そしてジュニアヘビー級や日本人対決、異種格闘技戦などで話題を集めました。

ジュニアヘビー級や日本人対決はのちに、馬場さんの全日本プロレスにも取り入れられることになります。

プロレスに対する関わり方

馬場さんは生涯現役を貫きます。会社のためと言うのもあるかもしれませんが、なんだかんだ言ってプロレスラーとしてリングに上がるのが好きだったんだと思います。

40歳を過ぎたあたりからはメインをジャンボ鶴田に譲って、自分はセミファイナルの試合に出るようになります。

猪木さんは40歳を過ぎて年齢的な衰えが見えたときに、第一線を退きますがメインを譲るというのはプライドが許さなかったんでしょう。

毎回試合に出るというのを辞めて、ビッグマッチのみに出場するという形をとります。

この当時に参議院議員選挙に出馬して、国会議員になっています。

平成6年に引退を表明して平成10年に引退をします。引退後も新日本プロレスと関わり合いがありましたが、現在は関わり合いがなくなっています。

生涯現役で最後までプロレスラーだった馬場さん。途中で引退してプロレス団体からも離れた猪木さん。この辺の違いも面白いですね。

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ジャイアント馬場とアントニオ猪木のプロレス以外のこと

性格の違い


この二人は性格がかなり違います。慎重な馬場と行動的な猪木。温厚な馬場とカッとなりやすい猪木。と言われています。

馬場さんは非常に温厚なことで知られています。当時のプロレスの世界って荒くれ者が多い中で、練習中など気合が入っていないと殴ったりするようなことがよくあったそうですが、馬場さんはそういうことはなかったようです。

実際にテレビ番組で弟子を殴ったことは一回もないと言っていました。

対する猪木さんは激情型でカッとなって手が出たり、気合が入っていない試合をしたら激怒して殴ったりすることもあったようです。

こうしてみると馬場さんいい人、猪木さん悪い人と見えるかもしれませんが人には良いところもあれば悪いところもあります。

馬場さんは裏切り者は絶対に許さない。ちょっとネチネチしたところがありましたが、猪木さんは自分を裏切った相手でもあっさり許してしまう。そんな性格です。

温厚だけどネチネチしている馬場さん。カッとなりやすいけどすぐに許してしまう猪木さん。どちらがいいかは好みの問題ですね。

結婚の違い


馬場さんはプロ野球選手時代に出会った、元子夫人と亡くなるまで結婚していました。猪木さんは女優の倍賞美津子さんと結婚のちに離婚して再婚をしています。倍賞さんとの前にも結婚して離婚をしているので女性遍歴は華やかです。

どちらがお金持ち


馬場さんが生きていたころ大仁田厚さん(馬場さんの弟子)がこんなことを言っていました。

「馬場さんと猪木さんが戦ったらどっちが強いの?」それの答えが「どっちが強いって?金持っているのは馬場さん」

質問の答えにはなっていませんが、おそらく事実なんでしょう。

馬場さんは海外で試合をしていた頃、「王や長嶋の年俸を聞いて笑ってしまった」と言っていました。

野球界のスーパースター王や長嶋よりも高いギャラをもらっていたってことです。

海外でそのまま活躍すればさらに稼げたのでしょうけど、けがをした時の補償がないため日本に帰ってきたそうです。

全日本プロレスはそこまで儲かっていたわけではありませんが、CMやテレビ出演などもしていたためそれでも相当稼いでいたんだと思います。

猪木さんはどうかと言うと入って来るお金も多かったのですが、出ていくお金がもっと大きかったようです。

新日本プロレスがすごく儲かっていた時代も、副業に手を出したためそちらでお金が消えてしまったそうです。

まとめ


ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの二人を、いろいろ比較してみました。

プロレスに対する関わり方も性格も違う二人ですがこの二人がいたから今の日本のプロレス団体があります。

お互いライバルでしたが、それぞれが影響を受けていたんですね。

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