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西郷隆盛と言えば幕末の明治維新の功労者なのに、征韓論で大久保らともめて鹿児島に帰り乱を起こして敗れるという最後になってしまいました。

西郷の唱えた征韓論って何だったのでしょうか?西郷の本当の目的って何だったのでしょうか?

今回は征韓論とは何だったかについてお伝えします。

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征韓論とはどんな意味

征韓論と言うのは当時、鎖国状態だった朝鮮を武力で開国させると言うものです。

当時の日本と朝鮮の関係

今は韓国とも北朝鮮ともあまり仲の良くない日本との関係ですがお隣の国なので昔からいろいろ交流があります。

秀吉の時代には朝鮮出兵があって、この時は日本との関係が最悪になります。その後、江戸幕府は朝鮮と関係を持ち直して貿易を始めますが

新たに日本の政権をとった明治政府とは国交を持つことができませんでした。

明治政府としては何度も国交を持とうと試みるのですが朝鮮は「江戸幕府と交わしてきた今までの文章と違う」と言うことを理由に断ります。

「文章が今までと違う」というのはあくまでも口実であって本心はおそらく「日本は開国して西洋かぶれになった。そんな国とは付き合えない。」

と言うことだったんだと思います。

これが明治政府は「大変無礼だ、許さない。武力を持ってでも朝鮮を開国させるべきだ」という主張になりました。

征韓論の目的は?


そもそもなんでそんなに日本は朝鮮を開国させたかったのでしょうか?鎖国しているならほっておけばいいのにって思いますよね。その理由はいろいろな説があります。

ロシアの脅威説

ひとつはロシアの脅威を防ぐためと言われています。当時は列強が拡大路線をとっていました。ロシアの勢力が朝鮮にまで及ぶと日本は非常に脅威になります。

そのため朝鮮を開国させて近代化することによってロシアの脅威に備えるというものです。

士族の不満、解消説

明治政府の四民平等政策によって士族は仕事にあぶれ生活に困窮するようになりました。そんな士族の受け皿として朝鮮との戦争に武士を使おうという考え方です。

内の不満を外に向けるという方針と言うことです。秀吉の朝鮮出兵の時も戦の無くなった武士の仕事を与えるためと言われています。

日本の利益のため説

欧米諸国の圧迫を受けた幕末の日本がその損失を朝鮮を攻撃することによって穴埋めしようとしたという説

思想的な理由説

古事記や日本書記とそれに基づく国学や水戸学の思想では、朝鮮侮蔑に思想があったといわれています。

古代の日本は朝鮮を支配していた。だから朝鮮は日本の言うことを聞くのが正しい。そういう思想です。

内部抗争説

当時、岩倉遣欧使節団と言って新政府の中心人物がヨーロッパにツアーに行っていました。もちろん観光ではなく進んだ欧米を知るためです。この岩倉遣欧使節団が参加したのは薩長出身がほとんどです。

残った留守政府は西郷隆盛以外の板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣・大隈重信は土佐と佐賀(肥前)の出身者です。

岩倉遣欧使節団(新政府の中心的な役割)VS残った留守政府(新政府の脇役)という図式で重要なことは帰ってくるまでに決めないように言われていたのですが留守政府は岩倉遣欧使節団がいない間に征韓論を主張して日本に帰ってきた岩倉、大久保、木戸と対立します。あくまでも主流派との対立軸として征韓論を主張したと言う説があります。

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どれが正解なのか?

どれが正解なのかはなかなか難しい問題ですね。一つの理由だけではなく複合的な理由とも考えられます。内部抗争説以外はどちらにしろ、日本の利益のためと言えるのかもしれませんね。

西郷隆盛は征韓論ではなく遣韓論?


西郷隆盛は征韓論を唱えたのではなく遣韓論だという人もいます。遣韓論と言うのは武力ではなく、あくまでも平和的に開国をするように説得をするという方針です。

板垣退助などが「軍を率いて日本の軍事力を見せてから開国させよう。」と言う主張を持っていたのに対して西郷隆盛は「いきなり軍で脅したりするのはよくない平和的に礼をもって開国させるべきだ。自分が一人で乗り込んでいくもし自分が殺されるようなことがあったらその時は戦争をすればいい。」

と言うことを言っています。自分が犠牲になって戦争のきっかけを作るということなので結局戦争をすることを目指しているだから西郷隆盛は征韓論者と言われていますが本当に自分に危害が加えられて戦争のきっかけになると思っていたかどうかは今となっては西郷にしかわかりません。あくまでも主戦派を説得するために言った言葉とも取れます。

あるいは平和的に開国できればそれでいいし、できなければ戦争になっても仕方ないと思っていたのかもしれませんね。

征韓論はどうなったの?


征韓論は今は朝鮮にかわかるより国内の政治を安定させることが大切という海外視察組の意見によって朝鮮への使節派遣は取りやめになります。征韓論を主張していた西郷隆盛をはじめとする留守政府の人たちは政府から去って地元に帰ることになります。

西郷隆盛は西南戦争の旗頭になって敗れて自害することになります。結局その後 明治政府は朝鮮を開国させてさらには併合することになりますがもし西郷隆盛が使節として朝鮮に行っていたらどうなったんでしょうね。

平和的に開国することができたんでしょうか?そうなったらまた別の歴史になっていたのかもしれません。

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