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歴史の授業で必ず習う廃藩置県、明治政府の主要な政策として知られていますが廃藩置県ってどういう意味なんでしょうか?

廃藩置県によって日本はどう変わったのか?わかりやすく解説します。

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廃藩置県とは?


文字どおり藩をなくして県を置くというものです。

その目的は日本の中央集権化です。

明治維新によって新しい政府ができましたが、江戸時代のそれぞれの藩はまだそのまま残っていました。

明治政府は徳川幕府の旧領を支配するようになりましたが、それは日本の4分の一程度です。

それ以外は全国に各藩があって、それぞれの藩に税金をとる権利や軍事力がある状態です。

外国と対抗するためにこれでは弱いですよね。

そこで明治政府が国のすべての税金と、人を集めるための政策が廃藩置県です。

版籍奉還ってなに?


廃藩置県の前に明治政府は版籍奉還を実行しています。版籍奉還は各大名が所有していた土地と人民を天皇に返すというものです。

ただし大名は新政府から知藩事に任命されて、今までと同じように領地を治めていました。

天皇に人民と領地を返したといっても、実質的には江戸時代と変わらないような状態です。

そこで廃藩置県をして知藩事の治めている領地は県になり、政府が送り込んだ役人が知藩事(旧大名)の代わりになりました。

知藩事(旧大名)はどうなったのかと言うと、華族と言う身分になり東京に家族と一緒に移住を命じられました。

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廃藩置県の結果どうなった?

すべての税金は国に入ってくることになり、軍事力もすべて国に集中することになりました。

江戸時代は江戸幕府があってもそれぞれの国が独立国のような状態でしたが、日本が一つにまとまり富国強兵の道を突き進むことになりました。

廃藩置県に各藩は反対しなかったの?


廃藩置県によって藩主は殿様ではなくなります。江戸時代265年もその地を先祖代々納めていたのに、その土地が取り上げられてしまうということです。

藩主の財産だった土地と人が自分のものではなくなるってことですから、反発して戦争になりそうな気もしますよね?

ところが廃藩置県では大きな反発もなくスムーズに行われました。

その理由はいくつかあります。

反発が起きなかった理由

その理由は大きく分けて3つあります。

  • 版籍奉還を先にしていた
  • 明治政府は直属の軍を持っていた
  • 藩主にとってもメリットがあった

版籍奉還を先にしていた・・・まず一つは廃藩置県の前に版籍奉還がありました。

2段構えの政策だったので、反発できなかったというのもあります。

いきなり廃藩置県ではなく、版籍奉還のちの廃藩置県だったのが功を奏したのでしょう。

そして突然宣告されたのも、藩主が反発できなかった理由の一つです。

明治政府は直属の軍を持っていた・・・あと明治政府は薩摩 長州 土佐から兵を集めて天皇直属の軍隊を持っていました。

反発する藩があったら戦争になったでしょうけど、幸いにも表立って反発する藩はありませんでした。

廃藩置県は明治政府のやり方が周到だったんですね。

藩主にとってもメリットがあった・・・ただ藩主にとっても廃藩置県は悪いことだけではありません。

ムチもあればアメもあります。藩主の座を取り上げられましたが、藩主は華族として生活が保障されていました。

藩主でなくなっても生活に困ることはないってことです。

そして藩の財政が借金まみれのところが多かったのも反発が出なかった一因です。なかには自ら進んで返上を願い出る藩主もいたそうです。

それに藩主は今までいた地元から東京に移住を命じられたわけですが、江戸時代の殿様は参勤交代がありました。藩主の奥さんと子供は東京(江戸)にずっと住んでいることになります。

藩主になってから初めて地元に帰るので、もともと生まれと育ちが東京の人間が多かったので、都会に住むことに反発は感じなかったのかもしれませんね。

廃藩置県のまとめ


廃藩置県と言うのは歴史の必然だったのかもしれません。戦国時代が終わって一番大きな領地を獲得したのが、徳川家で武士の頂点である征夷大将軍になりました。

その家臣として各地の領地の管理を認められたのが各藩の大名で、その子孫が藩主として代替受け継ぐそういうシステムが徐々に不具合が出てきたから藩の借金がかさんでしまったんだと思います。

もし外国からの外圧がなければもう少し江戸時代は続いたかもしれませんがどの道、古いシステムの限界だったのかもしれません。

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